とちの木の実

俳誌に連載中のエッセーと書評

末期の曲

 二月の光は、まだ春の生命力の猥雑さを知らないだけ、透き通ってみえる。その中を、
横に流れ、吹きあがり、風花は、落ちてゆくのが楽しいかのよう降りしきる。

 このところ、終活の一環として、死ぬときに聞きたい音楽を編集している。特に詳しいわけではないので、題名を知らない曲が多いから、音楽サイトをあてずっぽうに聞き流して探す。昔、一度聞いて良いなと思ったまま忘れていた曲を見つけ出すのは、かなり時間のかかる作業だ。気に入った曲を集め終える前に、寿命が尽きてしまいそう。そうしたら、それが妄執になって化けて出てしまいそう。かなり心配だ。

 最初の一曲と最後の曲は決まっている。中学生みたいな趣味でわれながら恥ずかしいが、まず、カヴァレリア・ルスティカーナの間奏曲で軽やかに始める。ウィーンフィルがいいだろう。高音の浮遊感は独特なものがあるから。


 音楽の都 ウィーン、霧の中の観光馬車の馬の臭いも、末期の時には懐かしいかもしれない。。コンサートに通い詰めてポケットに一銭もなくなり、ウィーンを発つ日にはコーヒー一杯飲むこともできなかったっけ。
 メルクの修道院の大伽藍にとよもすパイプオルガンの響きも忘れられない。祖父はクリスチャンだったので、好きな作曲家は?と聞くと「バッハ」と分かり易い答えをしてくれた。信仰を持たない私でも、小さな教会の古びた身廊に、バッハを聞いたときはため息が出た。祖父母に聞かせたかった、と思った。
 私の寒がりと甘党なのはこの祖父の遺伝かもしれない。明治生まれの男性にしては珍しく、嬉しそうにジャムを煮、ワッフルを焼いては一人で食べていた。冬になると火鉢を抱え込むようにして、おそくまでカール・バルトやマイスターエックハルト等を読んでいたが、そんな勉強熱心さの方はまったく遺伝しなかった。祖母は祖父の影響で信仰の径に入ったのだろうと思う。だから、大聖堂でも木造の小さな教会堂でも、訪れたときは二人分の灯明を献じることにしている。やはりバッハも一曲入れておくべきか。


 最後の曲はマーラー交響曲第5番アダージェットにする。憂鬱な波がゆっくりと打ち寄せ、悲しみが堪えているといつか甘くなってくるように、暗い恍惚感に胸が痺れる。
ヴィスコンティの「ヴェニスに死す」が忘れられないせいだろう。あの映画を見て以来、アダージェットで思い浮かぶ光景はヴェニス以外になくなってしまった。
大伽藍も、プルーストの踏んだかもしれない不揃いな舗石の裏道も、ひたひたと近づく破滅の匂いがした。サンマルコ広場が波の下になる前にもう一度訪れてみたいものだ。海面の上昇が急速に進んでいるから、悠長なことも言ってられないだろう。

 末期に聞きたい曲集、あまり長くなっても往生際が悪い気がするから、二三時間に纏めたい。となると、クラシックは長いので困る。モーツァルトのピアノ協奏曲は21番から23番まで、どれも捨てがたいが、全部は無理だし、好きな楽章だけというのもものたりない。どれかを選べば必ず、他のも聞きたかったと思うだろう。
 一曲くらい自分で弾いたショパンを入れてみようか。楽譜の解説に「愛らしいが内容がない」とご丁寧にも書いてあるノクターンでも。ピアノは母が手ほどきをしてくれた。家族というのは妙なもので、注意が素直に聞けないこともある。母は厳しい人だったが、いたずらに反抗的になってしまった時期もあった。親というのは損な役割だとつくづく思う。その母が、私の弾くこのノクターンで、泣いてくれたのだった。

 それに、懐かしのビートルズストーンズ、今気に入っているラヂオヘッズも聞きたい。おやおや女性ヴォーカルが全然ないぞ、等等、考え出すときりもない。。
心安らかに過ごすためのはずが、迷いが深くなりそうだ。

やはり、終活も、空也上人のいわれたように「捨ててこそ」なのだった。形のない音楽と云えども集めるのは、捕らわれることなのだ、とようやく思い至った。

 風花は、いつの間にか止んでいた。地面は濡れているが、草の上にも白いものは、すでに見えない。午後の斜めの日差しに藪椿の照葉がただキラキラと光っているばかりである。
 たちまち消えて、軽やかで清らかな気配だけが、ふいの思い出のように通り過ぎる。それでよいのかもしれない。消えゆくものは、消えゆくままに。

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