句集名に感じ入ってしまった。これと比べたらロブーグリエの「消しゴム」ですら、ひんやりと徒労感のただよう抒情の影が揺曳している、といえるでしょう。
内包する世界への手がかりの見当たらない、絶壁の如く立ちはだかる「木耳」の存在感が、すごい。句集の中に
木耳の透けて血管らしきもの
と、いう句があります。キノコは好きですからスーパーで白木耳を見つけたときは必ず買ってホクホクしながら帰りますが、血管らしきものにはついぞ気づきませんでした。これは幻視なのでしょうね。
写生句のようでいて、幻視を潜ませているとは油断のならない作者だな、と思いつつページを繰ります。
胡瓜食む氷河の融ける星にゐて
気候の変動を声高に糾弾するのでもない。けれど、一皿の夏料理を、地球史を俯瞰する視点から眺め降ろして、とても涼しい。
21世紀・現時点は地球の寿命のちょうど半分くらいのところです。きっと一番自然の豊かな時節かもしれません。その美しい時を破壊してゆく我々人間というもの。胡瓜の緑が目に染みる。
人間の触れてしまひし蛍かな
一度人間に触れられたら、もう元の「あくがれいづる霊かとぞ見る」の蛍には戻れない。
他にもキリギリスやアメンボなど、小さな生き物に優しい句が多いような。
一渥の落花を風にもどしけり
正統派の抒情。
涅槃図を指す緑青よ辰砂よと
入滅の絵説きをするかと思ったら、絵の具ですか。意外性がおもしろいし、あざやかな色彩にチベット密教のタンカとか、風土性を感じさせる絵柄が目に浮かびます。
雛らにわれより永き未来あり
美しい一句です。永いといっても、無常をあらそうさま朝顔の露に異ならず、ではありますけどね。、
正統的な句風で なにより言葉への確かな信頼がかんじられます。
ジョージ・サンタヤナは「この世にあるものは全て本質において抒情的であり、その運命において 悲劇的であり、実存においては喜劇的である」*といっています。そんなこの世の物事に出会ては、折節の機微をこういう風に一句に拾い上げてゆくことができる。俳句ってありがたいものだなと思いました。
*サンタヤナは1863年スペイン生まれアメリカに移住した詩人哲学者
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