とちの木の実

俳誌に連載中のエッセーと書評

須田菁華と魯山人  菁華の馬魯山人の馬

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須田菁華魯山人

魯山人の馬、菁華の馬

 須田菁華窯で働き始めたのはもう三十年も昔のことになる。その頃は先代もお元気で、細い通りに面した磨りガラスの窓の前の机に身をかがめて、軽やかに筆を動かしながら、何くれとなく、思い出や身の回りのことなどお話になったものだった。洒脱な口調で、、菁華窯を訪れた様々な忘れ難い人物、バーナード・リーチ魯山人のことなども。
 魯山人と初代須田菁華については、夙に様々な研究や書籍もあることだから、私などが書くまでもない気もするが、逸話は色々伺った。魯山人は毀誉褒貶相半ばする人物で、白洲正子の著作に見られるように、生前はむしろ毀と貶が多めな印象である。初代菁華のことは、最後まで尊敬していたというが、馬が合ったというより、両者の美意識に共感するものがあったのだろう。初代は京都時代茶道にも研鑽を積んだと聞く。瑕瑾のない完璧なものより、歪みや、窶しに遊ぶ茶の美学に造詣が深くていらしたのだろう。魯山人もまた茶を好んだ。 

 時代は明治の終わりから大正のころである。イギリス留学中にウィリアム・モリスらのアーツ &クラフツ運動に影響を受けた柳宗悦民芸運動を始める、その前夜というところだ。
 そのころの工芸は周知のとおり精緻を極めたものが多い。今また脚光を浴びているようだが、想像を絶した細かな技術は確かにすごい。
 そんな中で、魯山人の書は、規矩に捕らわれない破格の書と言えよう。初代菁華にも、時代精神を映した精巧な倣古作品の中に、染付馬の絵水指のような野趣溢れる雅美な作品がある。時代に一歩先んじていたと言えるかもしれない。

 先代も、しばしば「雅美~に、雅美~に(描きなさい)」と口にしていた。魯山人もまた「雅美生活」を標榜している。どうやら「雅美」は両者に通底するキーワードの一つのようである。ならば、
 それはどんな美なのだろう。「雅やか」というと繊細華麗で王朝風な印象を持つが、そればかりではない。ロココがお高くとまっているのではなく、親密で自由奔放であるように、「雅」も、なよなよしてはいない。むしろ細かいことにこだわらない、奔放不羈なものを孕んでいる。それは明時代の董其昌の尚南貶北論のように北宋の技術にこだわった画法より、南画の自由な文人的境地を最上とする東洋の伝統につながる美意識でもあった。
 水指の茫洋と白い地肌の中で、捻じれた古松は何事か語りかけるように枝を伸ばし、菁華の馬は実に生き生きと存在している。まさに気韻生動。そういえばこれも董其昌の言葉だった。「染付という焼き物」の号にも書いたが、董氏はその後の美術史に長く影響を与えたが、人物としては、ひどく狷介だった。そんなところもやや魯山人に似ているかもしれない。
 今回の企画展では魯山人の馬も見ることができる。そちらも染付で、丸まッちい馬が波の上を飛び跳ねている。可愛いような、面白いような、しかしよく見ているとどこか不安なような魯山人の馬。器体が整っているのでかえってそう見えるのかもしれない。菁華の馬の水指は窯の炎の中で歪み、人智を超えた天巧の雅美がある。

 アーツ&クラフツ運動は西欧近代の工業化に掉さして手仕事に帰れと訴えた。明治大正の日本もまた、西洋化近代化の波の中にあった。その中で、日本的なものとはなにかを問い、日々の暮らしの美をもとめた魯山人と初代須田菁華
大きな社会の変化の中で、ものを作るとは、手仕事とは、という問いは繰り返された来た。その問いに向かい合うとき、両者の作品の前に、私は佇んでしまう。いつまでも。