とちの木の実

俳誌に連載中のエッセーと書評

 

石川県の一億三千年前の地層から蛇の祖先の化石が発見されたそうです。それには小さな手足があり、当然そのための遺伝子があるわけです。手足の進化の遺伝情報因子は、魚のヒレから、昆虫類,哺乳類、そして私たち人間まで、ちゃんと保存されています。

 

 しかし、現在の蛇にその遺伝子は、ない。驚くべきことです。いったい何が「手足は必要ない!」と決意させたのでしょう。遺伝因子まで消し去ってしまうほど決定的に。

 

 ガラパゴス島の陸イグアナが食料を得るために泳ぎを憶えたことをテレビで見ました。すいすいと上手に泳いでいましたが、蛇もそんな環境に置かれたのでしょうか。ともあれ、蛇は泳ぎも上手です。泳いでいるヘビは涼し気で気持ちよさそう。

 ある夏、 桂川でボートを漕いでいたら、小さな黒ヘビが泳ぎ寄ってきました。オールをだすと、くるりと巻き付きます。泳ぎ疲れたのかと、岸へやろうと片方のオールを浮かしたまま苦戦していましたら、それを察したかのように、静かに水へもどっていきました。

 

 俳人はどうやら蛇が好きなのか,名句が多い。あまりたくさんなので、飯島晴子の句だけ引いてみましょう。( )内は句集名

 

幼年の息近々とこれは黒蛇   (蕨手)

 

 桂川の黒蛇をおもいだします。静かな挙措に智慧の深さを感じる。

 

小沙漠蛇は賢きみどりいろ  (朱田)

 

みどりいろを賢い色と見抜く感覚が、尋常ならざる鋭さです。

 

何かを得ると何かを失う、とはよく言われることですが、蛇が手足に換えて得たものについて、古代の人々はいろいろ想像したようですね。

 そして、それは神秘的な智慧か魔力であろうと洋の東西を問わず考えたようで、蛇のイメージはファラオの冠を飾り、メソポタミアの大地母神のシンボルとなり、インドでは神々の乳海攪拌の綱ともなりました。

巳年は運気が上がる、というのも、私たちの心の奥底にもあるそんなにかの揺曳でしょうか。

日本にも、三輪山伝説をはじめ、蛇体の神様は各地にいらっしゃいます。明日香や山の辺の道を歩き回った若いころ、大神神社の、白蛇が棲むという大杉の前に立った時,祠の中に白っぽいものが一瞬見えたようでドキッとしましたが、どうも気のせいだったようです。御神体ががみえたのなら、今頃、もう少し生活に余裕があったことでしょうから。

  

白緑の蛇身にて尚惑ふなり  飯島晴子(寒晴)

 

白緑(びゃくろく)と読んでくださいね。音が良いですもの。