とちの木の実

俳誌に連載中のエッセーと書評

Muse'e句会三月

句会の続きです。2点句はたくさんありました。

 

 たゆたいつゆらぎつ昇る月朧   松田

 

緩やかに上ってくる月はいかにも春の月らしいおもむきです。

細かいことを言うと昇ってくる動作の主体は月なので、その上になお朧でもある、と付け加えられるのが、文法的に間違っているというわけではないけれどなぜかなんとなく違和感のようなものを感じるんです。ちゃんと説明できないのに、言うことではないですね。失礼しました。私の個人的な感じ方の問題なのでしょう。

 

数葉の写真に残る花見かな  東出

 

セピア色になった写真の、花の下に集う顔の中にはもう会えなくなった人もいたりする。ながめながら年年歳歳花相似たり 歳歳年年人同じからず といった気分になる。わかります。しかし写真の中の花は季語としてどうかなぁ。

 

春雷や老女ひそかに血の騒ぐ  中井

 

いいですね。幾つになったって、血の騒ぐことはありますよね!しかも春雷なのが凄い。例えば「散る花や」とかだったら、「ふむふむ。」とわかりやすいけれど、春雷に血が騒ぐというのが、迫力があっていいな、と思いました。

 

くちびるは風のはじまり百千鳥  露花

 

唇を洩れる吐息こそが風の始まりだ、という素晴らしい断言!。ステキです。断言はダダイスト! 

唇を漏れ出したかすかな息が,やがて、百千の小鳥たちの下を輝かせる風になる!

 

春風や勧進相撲の幟旗   小林

 

春場所も終わりましたが、百数年ぶりの記録が出たんですってね。能登地震の被災地復興祈願の勧進相撲が各地を巡るというニュースを御覧になっての一句だそうです。

野見宿祢と當麻蹴速の力自慢から始まったという相撲は平安時代には神事として豊作祈願や地鎮に執り行われたそうですから、古式ゆかしいうえに当を得た勧進相撲ですね。

春風(しゅんぷうと読むべきでしょうね)に幟旗の鳴る音が聞こえてくるような、印象鮮明で気分の良い一句でした。

 

幸せを転びてさがすクローバー  くの一

 

フフ、楽しそうですね。萌え出る緑の上に転びまわるのは、それは確かに幸せでしょう、クローバーが見つかろうと、どうだろうと。

 

ばさばさと巣立ち忙し子梟  松田

 

小さな梟が、懸命に巣立ちしようと奮闘しているところに行き当たったのだとか!

うらやましー!見たかった!梟ってかわいいですよね。雛の梟はますますカワイイ!

 

四月馬鹿言ひ合ふことなく日ぞくるる  東出

 

『日ぞj暮るる」歴史的仮名遣いにふさわしい端正な言葉運びですが、テーマが四月馬鹿ですからね…。

ごく普通に「言ひ合ふこともなく暮れて」くらいでも、中七が字余りにならないですし。

 

今夜も又寝落ちしそうです。

 

三月のMuse'e句会

オガタマの花

例年なら桜も辛夷も咲いているはずなのに今年は寒いのかまだほころびそうな気配すらない。それなのにオガタマだけは純白の花をつけてくれました。うれしい。

さて古九谷美術館のカフェ「茶房古九谷」での句会も四度目となりました。当季の句三句投句五句選です。

今回は何と満票の句がありました。

 

無垢という重さを垂るる白椿   くの一

 

椿の蕾でしょうか、その柔らかな重みは無垢というものそのものの重みであるという把握が、素晴らしい。

 「重さを垂るる」と「を」にしたところが作者らしい。普通なら「無垢というおもさに」垂るる、にするところでしょう。こちらもまた、無垢の重さに耐えかねて垂れている、という感じになって、それもまた面白いとおもいました。無垢であるのは、重いことでしょう。

作者は、無垢と白では、つきすぎかな、とお考えになったそうですが、白椿成功しているとおもいました。

 めったにない満票だったので、お祝いのお菓子(こちらのカフェでは最高得点の方には、台湾茶と季節の上生菓子のほかに特別なお菓子が出るんです。)もいつもより豪華でした。

さて次は四点句

 梅の香は夜気に紛れて後ろから  井上

 

作者の自解によると、やや鬱屈して歩いていて、梅の木を、花には気づかずとおりすぎたが、香りがしたので梅と気づいて振り返った、とのこと。凄く良い出会いじゃないですか!古今集

 春の夜の闇はあやなし梅の花色は見えねど香やはかくるる  凡河内躬恒

と歌われている梅の香り。

やや気になったのは「梅の香は」の「は」でしょうか。ここは感動を込めて「や」で切っても良いでしょう。そこまででなく、もっとさらっといきたいなら「梅の香の」。こちらも良いですね。なんだか難癖をつけまくってるみたいで気が引けますが「から」より、「後ろより」も落ち着くみたいな気も…。

三点句まいります。

 

淡雪や地に吸い込まれゆく途中   中井

 

たしかに春の淡雪は、地に触れると同時に儚くきえてゆきますね。おっしゃられた通り、地に吸い込まれてゆくようです。そのうえ「途中」ですから、恐ろしくほんのわずかな一瞬を認めていらっしゃるのですね。。でもこの途中がきいています。

 

靴下にさよならまるめ春の水  露花

 

靴下と一緒にさよならも丸めて洗濯しちゃうのでしょうか。感覚がおもしろいです。読みようによっては、かなり色っぽくもよめます。連句で出したら、恋句として戴ますでしょうね。

寝落ちしちゃいそうなので続きは、また後程・

 

 

 

句集「ジントニックをもう一杯」

冒頭の中原道夫「銀化」主催の序文が、懇切にしてカマラドゥリー溢れ、且つ長文である。読み終わるともうそれ上加えることはない感じ。というより、その視線から離れられなくなてしまう。

 たとえば、「食に関する句が頻出することに注目していた」とあったせいか、ついつい食べ物の句に目がいく。そして

 

  ダイキリのよく出る晩の守宮かな

 

の句も、たしかに「守宮のよく出る晩のダイキリ」なら普通だけど、ダイキリのほうがよく出るのは、健啖家の証しであろう、などと思ってしまう。

永井荷風の愛した洋食屋とか、寄せの風景とか、古き良き東京の雰囲気も懐かしい。そういえば、かつての江戸の文人達のような洒落たおかしみのある句もある。

 

 夏足袋や毎度ばかばかしき噺

 

この夏足袋,利いてますね。

 

  鰥にも荒地野菊の道はある

 

のように、寂しさのある境涯を詠んでも重くれず瀟洒である。つまり粋なのだ。

 

粋といえば、装丁がまたスタイリッシュだ。

やや縦長の黒っぽい表紙に黒い帯。カバーの下のフランスの再生紙みたいな表紙、題字のデザイン、,どれを取っても隙がない。

私も、こんなお洒落な句集出してみたい、と思った。

 

好きな句をいくつかあ書き出しておこう。

 

ゴーグルに当たるものあり冬銀河

 

夜桜や掻き合はすべき襟もなく

 

虫売りの仄暗き夢みせにけり

 

きっちりと夏野畳みて背嚢に

 

みづかきのいくらか有る手胡瓜揉

 

冬ざれに値段を付くる仕事かな

九谷焼美術館Mus'ee句会

染付雲中十二支図大皿

今日は、カフェの展示品の搬入の日でもあったので、ようやく焚くことのできた染付などをついでに届けました。さて、句会です。

今年は能登半島の大地震もありましたので、さすがに関連の句も多かったです。立春も間近になりましたので春の句も散見しました。さて、高得点句は6点、凄い。

 

独楽打ちて紐の先より夢放つ  くの一

 

「夢放つ」がちょっと言い過ぎではという意見(主に私)もありました。しかし。新年の遊びであるから新しい年への抱負や期待のこもる心持を「夢」と表現しているのだろうというご意見もあり、なるほどと思いました。

折口信夫も子供の遊びには古い神事の名残がうかがえると言っていました。独楽をまわし地を打って新しい年の吉事を祈念する、というのも深い読みだとおもいました。

次は3点句

 

凍星や大猩々(ゴリラとルビあり)の孤高に憧れり  東出

 

ゴリラと凍てる星、面白い取り合わせですし、孤高の気配がもうそれだけで感じられます。孤独ではなく孤高なのだと作者は強調していらっしゃいましたが、冬の夜空に輝く星との取り合わせは、それに成功しているとおもいました。むしろわざわざ「孤高」と言い足す必要もないくらいじゃないかな。という気もします。

 

人寄りてやがて無口に虎落笛  井上

 

人が集まれば震災ことを話題にするが、まだまだ災害の傷跡も生々しい状態ですから、やがてみな黙してしまう。その沈黙の間に虎落笛が吹き抜ける。わかります。

 

焼き林檎主人公すぐ死ぬ話   橋本

 

薪ストーブで焼いた焼き林檎食べたい。

 

大寒の厨の窓に鳥の影   小林

 

窓に鳥影が走ることは特に珍しい事でもないかもしれませんが、一瞬の光と影の動きに大寒の季節の空気感が感じられます。

厨という文字からも、昔風なちょっと寒い台所の風景のような、印象を受けます。

 

 

福笑い毀てる眉は上弦の月   松田

 

遥か上方に眉があったんですって。ハハハ。

 

春の宵絵の具十色の重ね色   くの一

 

十色も重ねたらかなり暗いというか。黒いでしょうね。春の宵闇の暗さになにかおどろおどろしい雰囲気さえ感じられます。春宵価千金といいますが、逆に、こんなとらえ方もあるのか、と驚かされます。

 

さて、このあたりでお茶にしましょうか。

初めに香ばしい焙じたての玄米茶をいただいて次は、台湾茶に主菓子があったんですけど写真を撮る前に食べちゃって、そのあと御覧の通り水仙のお干菓子。

皆美味しかったです。

続けましょう。

 

あえかなる風花に置く方丈記  井上

 

方丈記にも災害の記述がたくさんあります。今も昔も日本列島は災害が多いのだな、とつくづく思わされます。作者も、儚く美しい風花と災害の記録でもある方丈記をあえて取り合わせたとのことでした。

 

一月の甘くて苦き能登の塩  中井

 

古来からの製塩方でつくられた能登の塩は美味しいですが、この一月の塩の味は、ひとしお苦い。震災について声高に何か言うわけではないけれど、抑えた表現に思いの深さが偲ばれます。

 

書いている時間が長くなって時間切れみたいですので、いったん終わります。

Muse'e句会

九谷焼美術館カフェで句会

こちらのカフェの台湾茶はとてもおいしいんですけど。今日はその上特別のお菓子まで用意していただいて、句会です。

美術館の方は展示替えで休館中なので、二階のカフェがオープンしていることに気づかない方も多いのでしょう。店内は静かでした。とはいうものの、感想など言い合っているうちに盛り上がって、句会のテーブルの周りは、ちょっとうるさかったかも。

 お茶を楽しみに立ち寄られた方々には、ご迷惑だったかもしれないと、遅ればせに反省しました。

当季の句、三句投句、五句選です。今回は「短詩形は初めて」というかたもいらっしゃいました。

とりあえず高得点句から順に行きましょうか。八人参加で五点句です

 

傍らに犬の寝息や小夜時雨  井上

 

「小夜時雨」という古風な響きの季語と室内で飼っているのですから多分小型犬の、暖かな寝息の音のとりあわせ。外の時雨の音と寝息と、かすかな音に耳を澄ますやすらぎのじかんですね。誰しもが、ほっとする取り合わせでしょう。

 

 天蓋に星あふれ柚に種こぼれ  橋本

 

夜になってから句を考えるので、夜の句が多くなってしまうんです。次四点句

 

黎明のテラコッタ径濡れ落ち葉  松田

 

黎明の茜色の光の中、テラコッタの色、s落ち葉の色が鮮やかに目に浮かびます。色彩感ゆたかで絵画的な一句。

三点句まいりましょう。

 

短日の街とぼとぼと孤影我  小林

 

御能に詳しく、御著書もお持ちの作者は、御能の名人の「離見の見」のごとく自分自身の姿を幻視なさったのだそうです。「孤影われ」という漢詩的表現もかっこいい。

しかし、ここまでハイブロウに格調のある表現になると中ほどの「とぼとぼと」がやや弱い。すぐには思いつきませんが、たとえば「短日の流にあるごとし孤影我」と、隠岐に配流の後鳥羽の院みたいなのとか。「短日の八衢に在り孤影我」とか。

 

老い一つ置いてきたらし冬紅葉  井上

 

冬紅葉の燃え立つような色彩の中に、老いという何かを置いてきた。散り行く前の一瞬の輝きかもしれないけれど、いわゆる老境というと思い浮かべるような、衰えとか侘しさをかこつのではなく,颯爽と明るく冬の林ぬけてゆく。かっこいい。

 

桃紅の一筆の墨冬座敷  くの一

 

作者は篠田桃紅氏とお知り合いとのこと。作品を冬座敷にかざっていらっしゃるのですね。ステキですね。そういえばレオノール・フィニーや藤田嗣治もお宅で拝見しました。

桃紅の作品は軸装はもちろん、モダンな額装もありますね。どんな字だったのか、書いてもよかったかも。

 

冬日射し花紺青のやわらかさ   東出

 

花紺青は松山窯(嘉永年間に大聖寺藩が加賀市松山町に起こし、青手の再興を試みた御用窯です)の独特の明るい青色を花紺青と呼ぶそうです。九谷焼美術館で展覧会の行われているところでした。

今まさに、この時この場所でなければ生まれなかった句ですね。

 

霰降る休眠中の登り窯  下口

 

登り窯は、焚くのに松の木がたくさんいるので、大変なんですよね。

なかなか使われなくなって、休眠中の登り窯にひとしきり降りしきる霰。なかなかの取り合わせです。

 

他にもたくさん面白い句があったのですけど、長くなりましたのでこの辺りで一応切り上げることにします。

 

 

 

 

白山山麓にて十一月句会

 今月は、山麓の紅葉も美しい白山市ギャラリー・ガレリアにて句会。

とてもすてきなギャラリーでした。オーナーの目の行き届いた展示品はどれもかなりエッジが効いていてしかも上品。みんな欲しくなってしまいます。

ランチもその後のデザートも美味でした。そんな嬉しい環境で句会。楽しかった!

まずは高点句から、といってもこんかいはかなりばらついていました。当然と言えば当然ですけど。だって価値観も好みもそれぞれ違う人間の集まりですからね。

 

傷癒えて群れ呼ぶ雁の夜更けかな   井上

 

怪我をした雁が群れを呼んでいる。切ない光景です。夜更けにそんな声を聴いたら寝付かれないことだろう…、うんうん、と思ってたらなんと井伏鱒二の「屋根の上のサワン」を本歌取りなさったのですって!もう読書家なんだから!

 

囲碁を打つ音の中より秋は来ぬ  くの一

 

盤上に碁石のピシッと当たる音が、秋の空気にひときわ冴えてひびく。良い句ですね。感覚の冴えだけでなく、機鋒の鋭さの感じられる句。

 

古戦場影絵となりて秋深し  小林

 

加賀の古戦場。源平の戦いで敗走する平家軍の中で討ち死にした斎藤実盛の首を洗ったという首洗い池を訪れての句だそうです。葦などが生えてものさびしい小さな池に木曽義仲を涙させた歴史がある。

御能に詳しく、ご著書もある作者には、彼らの姿が見えていたのでしょうね。「影絵となりて」という表現が、どうか、と問題になりました。「表現としてやや普通ではないか」「影だけでよくないか」などなど。御能の「実盛」をもっと出しても良かったかもしれませんね。

他に個人的気になった句には。

 

レース編む母の手元に烏瓜  松田

 

烏瓜の花は、花弁の先が糸のように分かれて儚げな、白い花です。レース編みに素晴らしく良く似合うとりあわせです。しかし レースも夏の季語、烏瓜の花も夏で季語が重なるのは確かです。でも非常に長い時間をかけて、編まれる芸術品のようなレースもありますし。私は美しい句とおもいました。

 

一房の影の重たき黒葡萄  くの一

 

灯火の下にくっきりと影を置く黒葡萄の存在感。影にさえも重みをかんじられるというほど、とは すごい。

 

あまり話題にしたくないのですが、今年、山里では、カメムシが異常発生しているようです。あまりの凄さに、いやなんですけどつい句にしてしまいました。

 

椿象(カメムシ)や紙飛行機に乗りて飛べ  おるか

 

飛んでどこかへ行ってほしい。

 

 

 

 

金沢句会十月

赤絵の恋しくなるこの頃

お湯呑み御愛用いただけているようで、嬉しい。

今回はやや人数が少なめでしたので、手持ちの秋の句好きなだけ投句していただきました。ほぼどの句も、どなたかが選んで、ばらけた感じ?まずは2点句

 

木槿雲は傍片へゆくなれば  おるか

近くのお宅の庭の木槿がきれいだったので、そのままの句

 

蛇笏忌の窗にはたりと朴落葉  おるか

たまたま蛇笏忌でしたので

 

遠山の神の三角天高し  井上

 

世界は基本的な幾何学的図形によって構成されているというお考えからの句だそうです。えーと、そういう理解でよかったのかな。

 

今ここに我が身一つの秋の暮れ  井上

 

而今に自身の存在を見つめる。秋も暮れようという時節の気配に、人間の存在論的寂しさが漂う。

 

鬼子母神まつりし寺の薄紅葉  小林

 

「薄紅葉」が、まず、きれいです。金沢で、鬼子母神のお寺と言えば、泉鏡花が、幼いころの母様との思い出を書いている、卯辰山の真成寺でしょうか。行ってみたくなりますねー。人形供養やら子供にかかわりのある行事の多いお寺だそうです。そんなお寺の薄紅葉、良いですね!

 

立哨の電信柱後の月  おるか

今年は中秋の月も大きかったけれど、後の月もきれいでした。

 

観念の解き放されし子規忌かな  井上

 

この句は哲学青年だったという子規の

 

観念の耳の底なり秋の声  正岡子規

 

を、踏まえての句。仏教的観念ではなく哲学における観念 Idea だそう。

子規の句を知らないと味わえない句でした。私は知らなくて選べなかったけれど,選をなすった方々、偉い。

 

 

 

一点句はたくさんあるのですが。

 

手のひらのななかまど実のあたたかや  井上

 

ななかまどの実の深紅は、硬質なまでに凝縮した緋色ですが、手のひらに乗せると秋の日を浴びて、ほのかに暖かいのだった。視覚と触覚、印象鮮明で小さなものへのやさしさが伝わってくる。良い句だな、と思いました。

「暖か」は春の季語にもありますが、これは小さな実のぬくもりの懐かしさが眼目ですから、ナナカマドの実と季語が二つになる云々と目をそばだてることもないでしょう。

 

駅頭に人待つ午後の赤とんぼ  小林

 

ツー、ツーと軽やかに飛び交う赤とんぼの中で人を待つ、特に意識に上がってくるほどでもはない淡い淡い哀感があります。駅頭という場所も旅情を誘うものがある。赤とんぼは山奥から移動して、ある日空いっぱいに現れる、移ろいゆくもの達です。旅へのいざないと、哀感。

この非常に淡い情感は俳句でなければ言い留められないものだろうとおもいます。

 

秋茜竜神雲へと逃避行   万貴子

 

秋茜の飛び交う中、すごい勢いで雲へと昇っていく竜神。作者に伺ったら、愛の逃避行なんだそうです。すごい幻視力。

 

一点句まだありますが、ちょっと休憩