とちの木の実

俳誌に連載中のエッセーと書評

茶房古九谷句会

九谷焼美術館の二階のカフェ、「茶房古九谷」で初句会です。紅茶や台湾茶と、お菓子の銘「花野」。きれい。

はじめての句会なので、何かとドギマギしましたが楽しかった。出席者は六人で三句投句五句選ですから、高得点が期待できる…かな。

最高点は4点でした。

 

拍子木や色無き風を切りてゆく  くの一

 

色無き風が季語で秋の風の雰囲気の感じられる良い言葉ですよね。その風を切り裂いて鋭く響く拍子木の音。感覚の鋭さを感じさせる一句。

 

露けしや木椅子の罅をなつかしみ   おるか

 

木の椅子と言えば、この春なくなられた黒田杏子先生の第一句集「木の椅子」を思い出さずにはいられませんが、それは私個人の感慨なので さておくとして、木の机やお盆などの節目とか傷などは、きらいじゃないんです。自然な感じがしますものね。

最高点の景品(?)はお干菓子でした。フフ、うれしかった。

 

3点句は

 

秋袷痩せて自慢の僧侶かな  中井

 

御坊様が「痩せた」って自慢なさっていたのだそうです。なんか俗人の価値観のような気がしますが。高悟帰俗ってことなんですかね。

 

柘榴の実割りて宇宙のこと語る  くの一

 

裂け目から無数の深紅の粒をこぼす柘榴を割る。そして言葉は宇宙へとむかう。目の前の一果に閉じ込められた小宇宙と大宇宙の交感のよう。

 

2点句まいりましょう。

 

無花果の葉の裏側の蝉の殻  東出

 

よく目の利いた写生句です。無花果は日陰や庭の隅にあって、やや暗い印象の木ですね。その葉はアダムとイブがご使用になっただけあって、大きい。そのほの暗い裏側に蝉の抜け殻がしがみついている。生命のほの暗さを感じさせます。

 

ただ、無花果は落葉樹だから、その葉と蝉では季重なりになるのでは、という、難しいご意見がありました。これは、むずかしいな。

 

秋扇わずかに膝をくずしたり   小林

 

良い句ですね。うまいな、と思いました。秋の扇と言えば、もう不必要になったもののこと。古歌にも打ち捨てられ見向き去れなくなった哀しみを秋扇になぞらえた例がいろいろあります。しかしここは俳句。「わずかに膝をくずした」というにとどめた寸止めが色っぽい。

 

お茶も存分にただいて、さまざまなご意見も聞くことが出来て、リアルな句会は楽しいな、と思いました。つぎは十一月です。

 

 

 

 

 

岩上明美句集「春北斗」

学生時代から俳句に親しまれ、俳誌「藍生」で、ご活躍なさっていた岩上明美さんの初句集です。長いキャリアの中で作ってこられた句句を一冊にまとめられたのですから、よほどたくさんの句をお捨てになったことでしょう。読みごたえがありました。集中の句、どれも秀句です。今回は蝶の句を中心に感想を書きたいと思います。

 

初蝶の濡れたる土に触れてゆき  

 

長い冬の後、初めて見る蝶。人間には嬉しい眺めですが、蝶にとってはまだ寒くもあるでしょう。初蝶の痛々しいまでのもろさ、はかなさに胸を突かれます。

蝶もけっこう喉が渇くようですよね。水をまいてやると素直に飲むのがいっそ哀れに思えます。

 

青ければ眉山にのぼる夏の蝶

 

眉山、良い名前ですね。徳島の市内からなだらかな山容が望めます。山も蝶も遥かな青に輝く夏の日。

 

 凍蝶のひかりしづかにたたみけり

 

自選十句にお選びになった句の一つです。

成虫で越冬する蝶はいろいろありますが、なかには命の尽きるものもいるでしょう。

冬の光の中にピッタリと翅をたたんで動かない蝶。「けり」の感動のこもる断言は重い。この重さは、透徹の光の重さ、生命の重さでもありますね。

蝶は、天翔けるものとして、鳥と同様、古来、魂の象徴とされてきました。エジプトやシュメール、エトルリアでは死者は鳥の姿を取ると言われました。ギリシア語の蝶プシュケーは魂のことでもあります。

蛹から蝶への変容もこの世から異世界への転身をイメージさせるのかもしれません。ミュケナイの墳墓に埋められた黄金の蝶は再生のしるしでしょう。荘子の「夢に胡蝶となる」のもそういうコンテクストの中でのことなのでしょう。

 

蝶を見てをればこの世の音消ゆる

 

その通りこの世界も蝶の羽の一打ち・バタフライ効果に揺れ動くのです。

 

蝶の影ときをり蝶を離れけり

 

死者の最後の息が蝶になるという神話のように、魂が時に体から憧れ出でるように。影を地においてひらりと空へ舞い上がる蝶。蝶の神秘的な雰囲気を、見事にとらえた一句。

 

蝶に頬打たれて蝶を見失ふ

 

神秘の蝶に夢見心地になっていた私もこの一句ではっと我にかえることが出来ました。

夢の蝶はどこかへ消えてしまったけれど、余韻はいつまでも残る。

華麗で同時に儚い蝶の句に目を奪われましたが、他にも忘れ難い句はたくさんありました。また稿を改めて書きたいと思います。

 

句集「春北斗」岩上明美著 株式会社文学の森 発行

水無月の句会Ⅱ

輝く緑

金沢句会、その他の得点句

 

消えてゆくもの閉じ込めて香水瓶  くの一

 

 きんいろの香水瓶に充ち渡る

 おもおもしい静謐。だが香りの本質は

 その内側にではなくむしろ

 外側にこそくゆり立つ     中井英夫「香りへの旅」

 

一瓶の薔薇香水を作るために何トンの生花が摘み取られることか。香りの神殿の奥処には、魔が潜んでいる。

冷ややかなガラス瓶に閉じ込めても香りは、刻刻発ってゆく。すべては消えゆく。

「時よ止まれ、お前はあまりに美しい」と言ったゲーテのように、だれしも永遠にとどまってほしい美しい瞬間はあります。むなしいと知っていながら願わずにいられないそんな思いの象徴のような煌めく香水瓶。

 

本堂の扉全開僧昼寝    井上

 

本堂の全開の扉。風が通って涼しそうです。昼寝には最高でしょうね、天国の蓮池の夢が見られそうです。実際に目にしたからこその実感のこもった明快明確で気分の良い一句。

 

白馬の残雪怪し暁闇に  加藤

 

信州、白馬の周辺を実際にご旅行なさっての句と、伺いました。

まだ暗い暁闇の天空に仄かに浮かぶ残雪の峰峰。そこに、ただ美しいという以外の妖しさを感じ取った。

かつて山々は神々の住むところでした。現代人の心の奥底にもそういう古代的な畏れの甦るときがある。ことに昼と夜のあわいの時間、あさや夕べは神託の降りる時間です。

心の深淵にうごめく何かを感じ取ることが出来る感性は貴重だと思います。

水無月の句会

卯辰山展望台から金沢を見下ろす

金沢での句会、当季雑詠五句投句五句選です。

特に仮名遣いは指定しておりません。歴史的仮名遣いは風情があると思いますが、いまだ自信がないもので…おはずかしい。

まずは高得点句から。三点句

 人知れず生きて誇らず蝸牛  小林

 

 人知れず、つつましく、おごらず生きてゆく。一隅を照らす存在として。

好ましい姿です。蝸牛という、小さな静かな生き物も、そういう心境の象徴として良く似合っています。

 「誇らず」に注目です。作者は、そういう生き方にも、自分自身にも、しっかりと自負を持っていらっしゃるんです。だからこそ、あえて、誇ることもない。

なんとなく流されているわけではないのです。

 こうしてみると蝸牛も、ひ弱そうですが、自分の核を守る殻と、そして、小さな角ももっているんですね。ただ名もなくか弱い存在なのではなく、人知れず生きることへの確固たる自負の表明の句、と読みました。

 

山椒魚吐息漏れ聞く文庫本  井上

 

全員が井伏鱒二の「山椒魚」だな、とわかっていたので問題なかったのですけれど、知らなければ「?」な句かもしれませんね。そして「漏れ聞く」も文法的にどうなんでしょう。「漏れ聞こゆ」ということなんでしょう。字余りを避けたい気持ちはわかりますが。

 実は、この場で「こうしたら良いのじゃない」と大変うまく添削なさった方がいらしたのですが、それを書き落してしまって、仕方なく原句を載せました。すみません。

 ふるびた文庫本から漏れる山椒魚の吐息を聞く!おもしろい発想です。

出井孝子句集「八月」

八月の光

 

 

 暑さの最中とはいえ、八月になると不思議に秋の気配が、感じられるようになる。日は確かに短くなっている。そして今年もまた原爆の日があり八月十五日がやってくる。

八月の石にすがりて
さち多き蝶ぞ、いま、息たゆる。
わが運命を知りしのち、
たれかよくこの烈しき
夏の陽光のなかに生きむ。   伊東静雄  夏花

 大阪に、国語の先生として生きた詩人が、町を歩き回って作ったという詩は、大空襲を予見していたかのようにも読める 。報道の戦争特集は、あまり見ないのだが、昨今の風潮にファシズム前夜と似た匂いがして気が滅入る。
 晩夏の光に、いつも開く句集がある。俳誌「藍生」の先輩出井孝子さんの、「八月」(2005年刊)である。後書は大阪大空襲の体験に始まる。、「六十年まえの八月十五日、私は崩れた土塀に添った道を昂然と頭をもたげ、唇を固く結び、双の手を固く握りしめ北へ向かって駆けていた。(中略)
 明けて十六日、私は誰も祝ってくれない六歳の誕生日を迎えた。」

 

 行列に従かず八月十五日  孝子

 

 幼くして終末の光景を見てしまった人は、潔くなるものなのだろうか。
ある冬の日、不意に電話が鳴った。受話器を取ると開口一番「太ってないわよね!」と聞き覚えのある声が一喝。その後、自身の一周忌の引き出物に、私の作るカップ&ソーサ―を注文してくれたのだった。葬儀には間に合わないと考えたのだろう。
訃報ほど思い出の引き金になるものはない。 完璧な身仕舞を「私の甲冑」と呼んで、ネフェルティティそっくりの貌をニッとほころばせたこと。あまり格好がいいので「身に着けるのに二時間もかかったら戦に負けるわ」と、まぜっかえしたっけ。
しょっちゅうパリに遊んでいたせいか、気の向くままに車道を横断するので、一緒に歩くと焦った。優雅な老婦人が、平然と車の間を横切ってくる、あの町でだけは、運転したくないものだ。

 

 詩人とも乞食ともいふ巴里祭  孝子

 アレクサンドル三世橋からの散骨を望まれたと聞いて、彼女らしいと思った。 偏愛の作家達画家達のそぞろ歩いた橋。 1900年のパリ万博時に作られた、パリ一美しいといわれる橋はいかにも彼女好みだ。 一番きれいなものを取るのに臆することのなかった人だった。

 青梅雨の夜を旅してゐたりけり  孝子

 好きな作家の忌日には、作品を読んで、忌を修することにしているが、、彼女の句集は八月の、お誕生日に読むことにしている。

 焼け跡に五歳の私夾竹桃  孝子

 

夾竹桃」はオレアンドルと読んだ方がいいのかな、孝子さん。 

 

俳誌「とちの木」より

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 紅葉を描いてほしいという注文があった。名人上手といわれる画家たちの、さんざん描いてきた題材である。おそろしい。

 葛飾北斎が鶏の足に色を付けて紙の上を走らせたという有名な逸話も、あまりにも数多くの銘品のある中で、「さあ、おまえならどうする、」とせまられるのにうんざりしたからではないかしら。北斎同様などと、空恐ろしいことを言うつもりは毛頭ないが、描きあぐねるつらさは、多少なりとも想像できる。

 ともあれ、「季語の現場に立とう」*と、近くの那谷寺へでかけた。平日というのに、駐車場は車でいっぱいだった。山門を入るとすぐ左手に金堂と宝物館がある。銀杏黄葉が黄金の小鳥の群れになって、甍とそれを見上げる人々に散りかかっていた。

*(季語の現場に立つ、は俳人黒田杏子氏の作句姿勢としてしばしば語られている)


 石山の石より白し秋の風  芭蕉


 奥の細道,北陸路  あまりにも有名な句である。近江の石山寺が、この句の現場だとの説を聞いたことがあるが、しかし、あちらの岩は硅灰岩でやや濃いめの灰色だった記憶がある。秋風と比べるまでもないだろう。那谷寺の「奇岩遊仙境」と名付けられた巨石は、雲母を刷いたように白く、表面はさらさらとして、色彩も質感も秋風と比べるにふさわしいたたずまいである。
 本殿の辺りの紅葉はまさに見ごろ。折から日照雨がはらはらと降りかかって、あざといまでの見事さである。ダメダメ、こんな、いかにも紅葉の名所でございます的な構図を描いてしまったら絵ハガキみたいになってしまう。

 紅葉は寒い国がきれいだという。カナダや北欧の紅葉は それは素晴らしいという。北欧まで見に行ったことはないが、ウィーンの森の紅葉も透明感があった。クリムト没後百年の大展覧会に行ったついでに少し散歩したのだが、黄葉の明るさは、突き抜けた美しさだった。

 クリムトの風景画の黄色も印象的で好き だが、執拗に描きこまれた風景はこうまでしないと振り払えない、よほどの憂悶に取りつかれていだのだろうかと胸の痛くなるような、暗い迫力がある。それが魅力なんだけれど。

 それに比べるとこの国の紅葉は、しとやかである。「世の中はむなしきものと知る時しいよよますます悲しかりけり  大伴旅人」の歌の如く、千年の無常観に貫かれ、もののあはれを葉脈の隅々にまで行き渡らせている。。
 繚乱の桜にさえ儚さを賞味するわれわれ日本人である。いわんや紅葉においてをや。
 古典演劇の幼童の美もあっという間に失われる故に一入賞玩したくなるもの。次の雨に消えてしまう紅葉の凋落の美は年がゆくにつれて、いよいよ肌にしみる。

そんな日本的儚さの美意識が、大戦の影のさす、西欧の終末の囁かれる19世紀末ヨーロッパにジャポニズムとして大流行したのもわからなくはない。

 クリムトの画室にも、浮世絵が何枚もかけてあった。クリムトはさまざまなものの境界に立つ画家である。殊に写実と装飾性のないまぜになった具合がどことなく琳派に通底するようで、惹かれる。

 既成概念に反発し、黄金に輝く画面にエロスとタナトスがせめぎ合い、あるいは抱きあう 完璧な画面。

 きっと生真面目な性格だったのだろう。主題に正面切って向かいすぎるとやや大仰に感じるのは、個人的好みかもしれない。

「儚さ」という、あって無きかのごときものを噛み分ける我が国の伝統はだてではない。錦秋はあでやかであればあるほど悲しいのは無論のこと。「花も紅葉もなかりける」となってもなお儚さをせせる。

 紅葉を狩るとは、儚さの果ての果てを狩ることであるらしい。どうにも描ける気がしない。

須田菁華と魯山人  菁華の馬魯山人の馬

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須田菁華魯山人

魯山人の馬、菁華の馬

 須田菁華窯で働き始めたのはもう三十年も昔のことになる。その頃は先代もお元気で、細い通りに面した磨りガラスの窓の前の机に身をかがめて、軽やかに筆を動かしながら、何くれとなく、思い出や身の回りのことなどお話になったものだった。洒脱な口調で、、菁華窯を訪れた様々な忘れ難い人物、バーナード・リーチ魯山人のことなども。
 魯山人と初代須田菁華については、夙に様々な研究や書籍もあることだから、私などが書くまでもない気もするが、逸話は色々伺った。魯山人は毀誉褒貶相半ばする人物で、白洲正子の著作に見られるように、生前はむしろ毀と貶が多めな印象である。初代菁華のことは、最後まで尊敬していたというが、馬が合ったというより、両者の美意識に共感するものがあったのだろう。初代は京都時代茶道にも研鑽を積んだと聞く。瑕瑾のない完璧なものより、歪みや、窶しに遊ぶ茶の美学に造詣が深くていらしたのだろう。魯山人もまた茶を好んだ。 

 時代は明治の終わりから大正のころである。イギリス留学中にウィリアム・モリスらのアーツ &クラフツ運動に影響を受けた柳宗悦民芸運動を始める、その前夜というところだ。
 そのころの工芸は周知のとおり精緻を極めたものが多い。今また脚光を浴びているようだが、想像を絶した細かな技術は確かにすごい。
 そんな中で、魯山人の書は、規矩に捕らわれない破格の書と言えよう。初代菁華にも、時代精神を映した精巧な倣古作品の中に、染付馬の絵水指のような野趣溢れる雅美な作品がある。時代に一歩先んじていたと言えるかもしれない。

 先代も、しばしば「雅美~に、雅美~に(描きなさい)」と口にしていた。魯山人もまた「雅美生活」を標榜している。どうやら「雅美」は両者に通底するキーワードの一つのようである。ならば、
 それはどんな美なのだろう。「雅やか」というと繊細華麗で王朝風な印象を持つが、そればかりではない。ロココがお高くとまっているのではなく、親密で自由奔放であるように、「雅」も、なよなよしてはいない。むしろ細かいことにこだわらない、奔放不羈なものを孕んでいる。それは明時代の董其昌の尚南貶北論のように北宋の技術にこだわった画法より、南画の自由な文人的境地を最上とする東洋の伝統につながる美意識でもあった。
 水指の茫洋と白い地肌の中で、捻じれた古松は何事か語りかけるように枝を伸ばし、菁華の馬は実に生き生きと存在している。まさに気韻生動。そういえばこれも董其昌の言葉だった。「染付という焼き物」の号にも書いたが、董氏はその後の美術史に長く影響を与えたが、人物としては、ひどく狷介だった。そんなところもやや魯山人に似ているかもしれない。
 今回の企画展では魯山人の馬も見ることができる。そちらも染付で、丸まッちい馬が波の上を飛び跳ねている。可愛いような、面白いような、しかしよく見ているとどこか不安なような魯山人の馬。器体が整っているのでかえってそう見えるのかもしれない。菁華の馬の水指は窯の炎の中で歪み、人智を超えた天巧の雅美がある。

 アーツ&クラフツ運動は西欧近代の工業化に掉さして手仕事に帰れと訴えた。明治大正の日本もまた、西洋化近代化の波の中にあった。その中で、日本的なものとはなにかを問い、日々の暮らしの美をもとめた魯山人と初代須田菁華
大きな社会の変化の中で、ものを作るとは、手仕事とは、という問いは繰り返された来た。その問いに向かい合うとき、両者の作品の前に、私は佇んでしまう。いつまでも。