とちの木の実

俳誌に連載中のエッセーと書評

三島広志句集「天職」」

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寒昴よき終焉を見届けて  三島広志

  寒昴よき終焉を見届けて 

 

帯に書いてありますが、作者は治療家としてご活躍中の方。御仕事柄、人の終焉に立ち会われることも少なくないのでしょう。その後に見上げる冬空の星の煌きに、心打たれます。

人間というものを見つめ続けてきた方ならではの言葉は、静かで深い。

 

おぼろ夜の筆談嘆きもて途切れ

 

また一人看取りの汗を拭きて来し

 

 

しかし、句集の読後感は、重くありません。むしろ落ち着いて、澄んだ印象がのこります。

 花辛夷みづうみ色に夜が明けて

作者には、ちょっと恥ずかしいかもしれないけれど、こういう抒情性が垣間見れるとほっとします。

 

 山彦が山彦を呼ぶ十二月

 

童心が感じられて、ぐっときますね。

 

ひと日もの言はざる安堵梅雨の月

 

辛いことを云わねばならなかったり、あえて嘘をつかねばならなかったりする方の感慨でしょう。

私なんか一週間人と口きかないこともざらですが、妄想の途切れない凡人です。

 

作者は、一人、夜空を見上げることが多くていらっしゃるようですね。星の句が多い。

 

桃啜る満天にかの星みつつ

 

「夜の桃」といえば西東三鬼を思い出しますが、桃啜る、は作者の星の句の中ではそこはかとなくエロチックかもしれません。

句集を読み進むうち、不思議に静かな気持ちになりました。星々の静寂を聴く思いがしました。

 

遠山櫻治らぬ人に触れてきし

 

作者の御職業をおもえば、沈痛な句かもしれませんが、ひとは皆、死に至る病を生きている。それを知っているからこそ触れ合う。そして時に,遥かなものへ目をやりたくなる。そのまなざしの先にほのぼのと山桜の見える世界は、美しい。

 

 

 

 

緑の香り

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里山の緑

 一雨ごとに緑の諧調が変化して、山全体の盛り上がってくるような新緑の五月。林道を歩くと何の花とも知れず香る。
 もうすこしすると朴の花が咲き出して天上の香りを降らしてくれる。香りを吸いながら、世界の果てまでも歩いていきたくなるような甘くすがすがしい香りだ。五月の香りベストスリーを選ぶならまず朴の香りは外せない。

 同じモクレン科の辛夷やオガタマも肺が清められるような香りがする。 白山の山懐に広大な石川県森林公園がある。その、あまり人の行かない奥まったところに辛夷の巨樹があって、毎年、花の時期に会い行くのだが、満開のときは、空に聳え立つ純白の噴水のよう。まさに世界樹イグドラシルという感じ。その幹に抱きついてボーっとするのは至福の時間である。

 クロモジも、この季節にめだたない花をつける。クロモジはシネオールなど芳香成分で知られる。楠科には他にも良い香りの木が多い。肉桂もそうだ。幹も葉も当然ではあるがシナモンの香り。
 クロモジは日本の特産だそうで、クロモジ楊枝で和菓子を切るときには、良くぞ日本に生まれけり、と思ってしまう。凛として深みのある香りだ。茶室のような小さな空間に、しめやかにこの木の香の立つのは心憎い。黒文字も捨てがたい。

 さて、朴の木、クロモジときた、残りの一つはなんだろう。桜だって、あのなつかしい葉の香りは捨てがたいし、早春の沈丁花の香りは、美しいと表現したい香りだ。春の沈丁花と並んで、秋の木犀の、あたりの空気を夕映え色に染めるような香りも良い。くちなしの甘い香りも、蝋梅の玲瑯も、と想像するだけで酔うような気がするが、わたしは日本三大芳香樹の最後の一枠、は柚子を選びたい。柚子は枝も葉もおくゆかしい香りがする。青柚子のすがすがしさも熟した柚子の香りも皆すばらしいが、その上に仄かに甘いトップ・ノートを乗せた、柚子の花の香りは格別の趣がある。
古今集、及び伊勢物語

 

 皐月まつ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする

 

古今集には、よみひとしらずとして載っているこの歌の花橘も、同じ柑橘系だから、柚子の花とよく似た匂いのはずだ。「昔の人」はきっと若々しく、柑橘系のさわやかな香りの似合う人だったのだろう。香りの記憶は最も深いという。花橘の香りの中に恋人は永遠に昔と変わらない姿で立っているのだ。仏は香食身といって香りを食べ物とし、香りで説教するという。悟りの世界に導いてくれる香りってどんな香だろう。究極の名香にちがいない。目を瞑って五月の風の香りを聞く。死ぬなら五月がいい、と思う。

古九谷動物園 九谷焼美術館報「古九谷つれづれ」より

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虎の子

小皿の中の動物たち 虎の子


公園の木漏れ日を抜けて、九谷焼美術館に入る。エントランスの傍らに、マリオ・ベリーニの椅子があるので、ちょっと座ってみる。中庭に面した窓辺にはウエグナーのYチェアが並んで光を浴びている。そして資料室にはスーパー・レジェーラが一脚ひっそりと、歩き回って疲れた鑑賞者を待っている。 私はこの華奢な椅子に座って、館内の静かな気配に耳を傾けるのがのが好きだ。
 作品から作品へ、行きつ戻りつするのは、けっこう大変だから、合い間に名品椅子で休憩できるのはうれしい。そんな心配りも、このこじんまりした美術館の居心地の良さの要因の一つだろう。

古九谷の大皿の迫力の陰に隠れて、端皿とよばれる小さな作品群は、取り上げられられることが少ない気がする。だが、見過ごし難い独特の魅力にあふれている。まず驚かされるのは、その器体の多様さだ。瓢形、木の葉形、扇の重なった形、色紙の端を折り込んだ様子が立体的に表現された折色紙形。この皿を見たイスラエル人のアーティストが「現代美術のようだ」と感心していたのを思い出す。ともかく多種多様で、なかには「変り形」と書いてあるのもある。なんと表現したら良いか、きっと悩んだのだろうな、と思う。

 絵柄もまた、それぞれにかわいい。きっちり描きこんであるものも、ざんぐりしたものもあって、それが形と上手く取り合わされていて飽きない。
 私は動物が好きなので、図柄の中に動物がいるとつい目をひかれる。中に、二匹の虎の子が断崖で遊んでいる図の向付がある。子猫がじゃれあうときに良くするように、もったいぶった様子で頭をかしげ、尻尾をくねらして顔を見合わせている。その顔がちょっと人間ぽくて、なんだかバルチュスの画いた猫に似ている。こなれた筆、洗練された描きぶり、作行きもまたぴしっときまっている。何形というのかわからないが、左右対称の端正な器である。高台の削りは、内側に刳り込むように、怖いほど細く切り立っている。両の手の中に納まるほどの大きさなのに、立ち上がりに勢いがあり、口縁に来てゆったり波打つように一旦たゆたって、細い口錆びの縁へとつながる。絵が魅力的なものだから、写真は真上から撮られることが多い。だから、この作品の立体感は写真ではなかなかわからない。ぜひ実物を見て欲しいところだ。
 虎の子が断崖にいるとなると、どうしても太平記にある「獅子の子落とし」的な含みがあるかと思いがちだが、五彩に彩られた二匹の子虎は、そんなことなど全く気にしない様子で元気に遊んでいる。
 中国の文様には、吉祥を表すものが、ことのほか多く、一見普通の花鳥画のようでも、牡丹は富貴を、蝶は、ちょっと意外だが長寿をあらわすなど、念入りに寓意がこめられている。古九谷の絵付けも、中国画の寓意の影響はあるだろうが、小さな器の中でそれほどこだわっていないのが、洒落ている。なにごともきっちりしすぎるより、ちょっと崩したくらいが粋なものだ。それは、手抜きとは違う。高度な遊び心とでもいうものだろう。限られた空間に色鮮やかな花鳥が遊ぶ。中にはシュール・レアリスティックといいたいような奇抜な図柄もあって、作り手の自由な発想に魅せられる。まさに壷中の天を覗く気分とでも言おうか。小さな器の中の別世界を眺めて、いにしえの人と対話するのは、楽しいけれどさすがに疲れる。そんな時、良い椅子は必需品なのである。また木漏れ日を抜けてスーパー・レジェーラに座りに行こう。

 

九谷焼美術館は現在休館中です。

写真は古九谷ではなく私が作ったものです。当然ながら

器で遊ぶ 九谷焼美術館会報「ふかむらさき」より

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煎茶の器で遊んでみれば

 祖母は煎茶が好きだったという。記憶の中では、いつも眉をひそめた、怖い印象しかないのだが、若かったころは、御道具も中国のものや、出身地の萩焼やら集めていたそうだ。それらを戦災でほぼ失って、残ったものも”食べてしまった”、つまり戦中戦後の困難な時代に、食料に換えてしまったのだ、とか。
 祖母がゆったりお茶を淹れているところを、私は一度も見たことがなかった。愛用の器を失って、よほど残念だったのだろう。これは、という器に出会えるのは嬉しいものだが、その分失った時は落胆も大きい。

たしかに、花が咲いたと言っては縁側に運び、冬の夜は手の中を温めてくれる器は、古い友人のようなものだ。
そして、長い間使われるうちに、器は持主の佇まいを映して成長する。命のないものに、成長などと、おかしく聞こえるかもしれないが、実際そうとしか言いようがないのである。特に高価なものでなくとも、使い込んで、絹の袱紗で優しくなで、良い景色ですねと話しかけ、果ては名前を付けたりして楽しむうちに、何年かすると不思議なほどそれらしい風格が滲んでくる。壊れるものではあるけれど、大事に使えば、器は人の生涯よりも長い時間を生きることができる。
 だから、私の作る器達も、百年ほど使い込んいただければきっと銘品に育つと信じているし、そういう希望があるからこそ作り続けてこられたのかもしれない。
 毎年、庭にハクサンイチゲが咲くと、一輪活けて、雲鶴茶碗でお茶を淹れる。吉祥紋の鶴を,帰る鳥に見立てたつもり。枝垂れ桜の初花を見つけたときは、染付桜川の茶碗で一服する。御飯茶碗に作ったがやや大きめなので小服茶碗に使えないこともないのである。

年年歳歳花相似たり
歳歳年年人同じからず(劉希夷)

花のころは、つい口ずさむ詩の一節だ。
帰るべもなく時は過ぎ人は変わってゆくが、器は、いつも黙ってそばにいてくれる。

 気に入った器は、使いまわしてみたくなるものだ。煎茶茶碗は昔から、ぐいのみを転用したものも多い。茶巾入れや盆巾づつのあしらいは、センスの見せ所だ。
 ため息の出るほど機知に富んだ道具の見立て、とりあわせの妙に、目を奪われたことがある。金沢の茶箱作家多田恵子さんの作品の展示会でのことだ。
 茶箱という小さな世界で、ベトナム漆器が、東欧の小箱が、思いがけない出会いの絶景を形作っている。伝統的な御道具の世界観からすれば異端的かもしれないが、形式にとらわれない自由自在さが煎茶の風通しの良さにふさわしくも思えた。
 売茶翁も鶴翁もしたたかな反骨精神と遊び心を持っていた。偉大な先人たちのおかげで、目まぐるしい現代でも、一煎のお茶の香りにホッとすることができるし、世界中の蚤の市から発見した古道具を取り合わせて遊ぶこともできる。ありがたいことである。

ひととせの茶も摘みにけり父と母  蕪村

 蕪村は売茶翁より四十年ほど後に生れたが、長命だった翁の晩年の境涯は知っていたろう。蕪村の出自は、はっきりしないから、この句を本当の父母の事と見る必要はないだろう。家で飲むお茶を自分で摘む、貧しい暮らしながらも、父と母がいてみちたりている、そんな家族への郷愁のようなものが成り立たせている一句でもあろう。使われている道具は きっと素朴ながら大切に使い込まれて、なつかしい思い出の凝ったセピア色の光を湛えていたにちがいない。

 器を育てるのはお茶の愉しみの余禄かもしれない。一つこつをお教えしよう。まず、その器に、名前を付けてやることだ。

 

写真の器は 花の王飯碗 なでしこマグ

九谷の紫色は二藍とは違って茶色がかって見えます。私はユトリロの紫に似てると思ってるんですよ。

恋の猫 俳誌「とちの木」連載エッセー

今週のお題「ねこ」

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猫の日なので

 今、家に猫がいない。物心がついてからこの方、猫を抱いて寝ていたから、このところの猫無し生活は、なんとも、奇妙に静かだ。。
 猫がしていたように、窓によって日向ぼっこしていると、ベランダを見覚えのあるトラ猫が通る。こちらの視線を感じたのか、これ見よがしに毛づくろいを始めた。猫というのは見られるのが好きな生き物である。家の猫が見ていた時は「外猫生活は自由だぜ」とばかりゴロゴロ転がって見せていたが、私の目の前だと、スタンダードな毛づくろいに抑えている。野良猫だったが、隣のお爺ちゃんになついて、餌をもらい、タローちゃんという名前をもらった。

 T・S・エリオットに「猫に名前を付ける」という詩がある。ミュージカル「キャッツ」のもとになったという詩集「ポッサムお爺さんの実践的猫本」の冒頭の一篇だ。

猫に名前を付けるのはむずかしい。
休日のお遊びっていうわけにゃ行かにゃー

とはじまって有名な「猫には三つの名前が必要にゃんだ」になり、「まず家族が毎日使う名前、ピーター、オーガスタス…」と猫の名前を延々と書き続ける。猫好きも、猫の名前を書いたり聞いたりしているだけで嬉しいとなると、病膏肓に至る、というものだろう。
 ボードレールも猫好きだったに違いない。「悪の華」だけでも「猫」という題名の詩が三つもあるし、猫が出てくる詩はもっとある。、恋人の描写も「切れ長の緑に光る瞳、咬みついて…、クッションが好きで…」と、そのまま猫みたいだ。

 好きな作家や画家に猫好きが多いのは、「類は友を呼ぶ」的な何かがあるのだろうか。それとも、もともとクリエーターに猫好きが多いということか。
ともあれ、いずれ劣らぬ愛猫作家の中でも有名なのは六本指の猫を飼っていたというヘミングウェイだろう。キーウエストの彼の家は多指猫の子孫たちが今も守っていて、猫好きの聖地となっている。

 私はヘミングウェイの良い読者ではない。タフでカッコいい長編は、あまり記憶にない。それより図書館で読んで、手元にすらない「何を見ても何かを思い出す」のような誰も評価しない短編が心に残っている。猫好きはさびしがりやなのかな。 

 日本の作家も猫好きは多い。谷崎潤一郎は愛猫を剥製にして永久保存したそうだが、そこまで行くとちょっと怖い。現代の作家では町田康か。

 猫で思い出すといえば勿論夏目漱石.お髭も猫っぽくて素敵だが、吾輩氏の気の毒な最期を思うと、本当に猫好きだったのかどうか、考えてしまう。エリオットなら「名前も無しとは,飼っているとは言えない」と断言するに違いない。しかし、明治の初めのそのころは、動物愛護どころか基本的人権でさえろくに擁護されていない時代だったのだから、多少は考慮してさしあげましょう。

 動物愛護の王国イギリスでも漱石の留学当時は虐待防止法は制定されていたものの、何度も改訂されている経緯を見れば現状はどんなことが行われていたか想像したくないけれどわかる。特に猫は、中世には魔女の使い魔と、あらぬ疑いをかけられて大量虐殺さえあったという。猫擁護過激派の中には、そういう猫の排斥のせいでネズミが増え、ヨーロパではペストが蔓延したのだと主張する向きもあるとかないとか。

 そしていまや空前の猫ブームである。猫は家の中できちんと飼われるようになった。オスもメスもみな手術を受ける。野良猫上がりのタローちゃんは今では少数派の恋する猫男子なのだ。雪深い北陸の寒風の中、毎夜、ある時は甘く、ある時は悲痛に、恋の雄たけびを上げてさ迷い歩く。だが、その訴えにこたえてくれる猫のお嬢さんはもういない。あわれ、タローちゃん。人間ならとっくにあきらめているころだが、本能はそれを許してくれないのだ。「猫の恋」という季語もいつか「亀鳴く」や「ぬくめ鳥」のような想像的季語と認識される日がくるのだろうか。それが猫の幸せな時代なのだろうか。今夜もタローちゃんの表現力豊かな嘆き節を聞きながら、春の近いことを祈ろう。

 恋知らぬ猫老梅にのぼりけり  おるか

恋を知らないのも幸せそうだな。

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牛飼い詩人の俳句集

牛飼い詩人として知られる鈴木牛後さんの第一句集です。表紙も面白い。

北海道の自然の中で牛を飼って暮らす日々の中から生まれた句はみな輝いています。

 

 牛死せり片目は蒲公英に触れて

  犢ほどの根明ありけり牛魂碑

(根明とは、深い雪が木の幹などの周りから溶けて穴になっていること、のようです。)

 

 花李匂ふ牛には牛の径

 牛追って我の残りし秋夕焼

 

等等印象的な牛の句がどのページもさながら牛舎に並ぶ牛たちの如くひしめいています。牛の世話をする日々の中から生まれた句は、もちろん興味深いですし、雄大な四季の自然の移ろいと相まって本当にうつくしい。

しかし、そればかりではありません。この方は、本当に目がいい。視力というのではなく、質感の捉え方が細やかで且つ するどい。

 

 いちまいの葉の入りてより秋の水

これほど涼しく澄んだ水は、見たことがないような気がします。

 

白蝶の白をうしなふとき死せり

 

白が汚れたから、というより白が極まって、色を超出した感じですね。

こういう感覚の鋭さ、語感のよろしさがあってこその完成度だとおもいました。

 

霧を出て霧へ入りゆく牧の牛

 

 

 

 

青に触れたくて

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染付とか、拙句集とか

今までに見た一番深い青は何だろう。

遠い日に、山の上で見た五月の空?ふいにいなくなってしまった白猫の瞳?三好達治の詩にも詠われた露草の花の色?その終聯に「はるかなるものみな青し」と、あるように、つゆ草の青は遠い色をしている。朝咲いたものが、すぐに萎れ、お昼には色も濁って小さな不機嫌の塊りになってしまうのだけれど。

 青は非在の色。湖の水を掬ってみれば透明なように、青は実体を感じさせない色だ。

 青の民俗学者といわれる谷川健一は「青と白の幻想」のなかで、南島の風葬墓にぼんやりと揺蕩う光を青と呼んだとして、「青の島は死者が歯噛みする暗黒の地獄ではない。そこは「明るい冥府」である」と云う。そしてまた「日本の地名」では各地の「青」とつく地名は塋域であったところが多いとも書いている。
なるほど南島の海と空との溶け合う彼方にあるという常世の国はまさに「明るい冥府」そのもだろう。その渚のなんと郷愁的な青に染まっていることか。

 西欧では「青はキリストの色」と言われる。そして天使の服の色、,聖母のマントの色でもある。ここでも青は憧憬の色であるらしい。

 システィナ礼拝堂のあまりにも有名な最期の審判は、圧倒的なラピスラズリの青に覆われていた。ミケランジェロは高価な絵の具を、これでもかとばかり使ったのだろう。写真で見るよりもずっと濃く重々しい青だった。「審判」の峻厳さを表そうとしたのだろうか。一番重い青を選ぶとしたら、第一位に押したい。

 はるかな思いを誘う天空の色を、掌中にしたいという願いは中国で一つの形をとった。十世紀ごろから始まった「雨過天青」といわれる青磁の器となって。
 なかでも汝窯青磁は柔らかな発色、ゆったりかかった釉薬が何とも魅力的だ。一碗の汝窯青磁があったら他には何もいらないような気がする。
 絵画の青の歴史がラピスラズリとアズライトの歴史と云えるなら、焼き物の青の歴史は十四世紀のコバルト顔料、つまり呉須の登場で大きく変わった。それ以前から釉薬の下に鉄絵などを描く手法はあったが呉須によって鮮明な図柄が描けるようになった。染付の鮮やかな青の世界は魅力的でさまざまな様式が生まれたが、その青は透明な釉薬の下にあるわけで、やはり触れているようで触れられないのが青の魅力なのだろう。

 青磁は松灰など鉄分を含んだ灰釉を還元焼成して作り出す。生地も鉄分を含んでいるものも多い。人間の血の中の鉄分が、動脈の酸素がいっぱいある状態では赤く、酸素を使い切った静脈の中では青く見えるように、灰の中の鉄分から酸素を奪うように焼き上げることで、あの微妙な翡色が輝きでるのだ。 早春の野に出てまだ厚い雲の切れ間に、やや薄翠を帯びた光がさすとき、「雨過天青雲破処」をひたすらに求めた古の皇帝の気持ちがわかる気がする。
 磁器の染付のことを中国では「青花」と呼んだので、、拙句集のなまえにした。

 涼夜かな青花壺中に座すごとし 

この句は猫なら納得してくれるだろうと思う。家のミケも暑い日は染付の大鉢に入って涼をとる、なかなか風流な奴であった。

*青い表紙の句集「夏の庭」はホームページ『うつわ歳時記』でご覧になれます。