学生時代から俳句に親しまれ、俳誌「藍生」で、ご活躍なさっていた岩上明美さんの初句集です。長いキャリアの中で作ってこられた句句を一冊にまとめられたのですから、よほどたくさんの句をお捨てになったことでしょう。読みごたえがありました。集中の句、どれも秀句です。今回は蝶の句を中心に感想を書きたいと思います。
初蝶の濡れたる土に触れてゆき
長い冬の後、初めて見る蝶。人間には嬉しい眺めですが、蝶にとってはまだ寒くもあるでしょう。初蝶の痛々しいまでのもろさ、はかなさに胸を突かれます。
蝶もけっこう喉が渇くようですよね。水をまいてやると素直に飲むのがいっそ哀れに思えます。
青ければ眉山にのぼる夏の蝶
眉山、良い名前ですね。徳島の市内からなだらかな山容が望めます。山も蝶も遥かな青に輝く夏の日。
凍蝶のひかりしづかにたたみけり
自選十句にお選びになった句の一つです。
成虫で越冬する蝶はいろいろありますが、なかには命の尽きるものもいるでしょう。
冬の光の中にピッタリと翅をたたんで動かない蝶。「けり」の感動のこもる断言は重い。この重さは、透徹の光の重さ、生命の重さでもありますね。
蝶は、天翔けるものとして、鳥と同様、古来、魂の象徴とされてきました。エジプトやシュメール、エトルリアでは死者は鳥の姿を取ると言われました。ギリシア語の蝶プシュケーは魂のことでもあります。
蛹から蝶への変容もこの世から異世界への転身をイメージさせるのかもしれません。ミュケナイの墳墓に埋められた黄金の蝶は再生のしるしでしょう。荘子の「夢に胡蝶となる」のもそういうコンテクストの中でのことなのでしょう。
蝶を見てをればこの世の音消ゆる
その通りこの世界も蝶の羽の一打ち・バタフライ効果に揺れ動くのです。
蝶の影ときをり蝶を離れけり
死者の最後の息が蝶になるという神話のように、魂が時に体から憧れ出でるように。影を地においてひらりと空へ舞い上がる蝶。蝶の神秘的な雰囲気を、見事にとらえた一句。
蝶に頬打たれて蝶を見失ふ
神秘の蝶に夢見心地になっていた私もこの一句ではっと我にかえることが出来ました。
夢の蝶はどこかへ消えてしまったけれど、余韻はいつまでも残る。
華麗で同時に儚い蝶の句に目を奪われましたが、他にも忘れ難い句はたくさんありました。また稿を改めて書きたいと思います。
句集「春北斗」岩上明美著 株式会社文学の森 発行