暑さの最中とはいえ、八月になると不思議に秋の気配が、感じられるようになる。日は確かに短くなっている。そして今年もまた原爆の日があり八月十五日がやってくる。
八月の石にすがりて
さち多き蝶ぞ、いま、息たゆる。
わが運命を知りしのち、
たれかよくこの烈しき
夏の陽光のなかに生きむ。 伊東静雄 夏花
大阪に、国語の先生として生きた詩人が、町を歩き回って作ったという詩は、大空襲を予見していたかのようにも読める 。報道の戦争特集は、あまり見ないのだが、昨今の風潮にファシズム前夜と似た匂いがして気が滅入る。
晩夏の光に、いつも開く句集がある。俳誌「藍生」の先輩出井孝子さんの、「八月」(2005年刊)である。後書は大阪大空襲の体験に始まる。、「六十年まえの八月十五日、私は崩れた土塀に添った道を昂然と頭をもたげ、唇を固く結び、双の手を固く握りしめ北へ向かって駆けていた。(中略)
明けて十六日、私は誰も祝ってくれない六歳の誕生日を迎えた。」
行列に従かず八月十五日 孝子
幼くして終末の光景を見てしまった人は、潔くなるものなのだろうか。
ある冬の日、不意に電話が鳴った。受話器を取ると開口一番「太ってないわよね!」と聞き覚えのある声が一喝。その後、自身の一周忌の引き出物に、私の作るカップ&ソーサ―を注文してくれたのだった。葬儀には間に合わないと考えたのだろう。
訃報ほど思い出の引き金になるものはない。 完璧な身仕舞を「私の甲冑」と呼んで、ネフェルティティそっくりの貌をニッとほころばせたこと。あまり格好がいいので「身に着けるのに二時間もかかったら戦に負けるわ」と、まぜっかえしたっけ。
しょっちゅうパリに遊んでいたせいか、気の向くままに車道を横断するので、一緒に歩くと焦った。優雅な老婦人が、平然と車の間を横切ってくる、あの町でだけは、運転したくないものだ。
詩人とも乞食ともいふ巴里祭 孝子
アレクサンドル三世橋からの散骨を望まれたと聞いて、彼女らしいと思った。 偏愛の作家達画家達のそぞろ歩いた橋。 1900年のパリ万博時に作られた、パリ一美しいといわれる橋はいかにも彼女好みだ。 一番きれいなものを取るのに臆することのなかった人だった。
青梅雨の夜を旅してゐたりけり 孝子
好きな作家の忌日には、作品を読んで、忌を修することにしているが、、彼女の句集は八月の、お誕生日に読むことにしている。
焼け跡に五歳の私夾竹桃 孝子
「夾竹桃」はオレアンドルと読んだ方がいいのかな、孝子さん。
俳誌「とちの木」より