とちの木の実

俳誌に連載中のエッセーと書評

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 紅葉を描いてほしいという注文があった。名人上手といわれる画家たちの、さんざん描いてきた題材である。おそろしい。

 葛飾北斎が鶏の足に色を付けて紙の上を走らせたという有名な逸話も、あまりにも数多くの銘品のある中で、「さあ、おまえならどうする、」とせまられるのにうんざりしたからではないかしら。北斎同様などと、空恐ろしいことを言うつもりは毛頭ないが、描きあぐねるつらさは、多少なりとも想像できる。

 ともあれ、「季語の現場に立とう」*と、近くの那谷寺へでかけた。平日というのに、駐車場は車でいっぱいだった。山門を入るとすぐ左手に金堂と宝物館がある。銀杏黄葉が黄金の小鳥の群れになって、甍とそれを見上げる人々に散りかかっていた。

*(季語の現場に立つ、は俳人黒田杏子氏の作句姿勢としてしばしば語られている)


 石山の石より白し秋の風  芭蕉


 奥の細道,北陸路  あまりにも有名な句である。近江の石山寺が、この句の現場だとの説を聞いたことがあるが、しかし、あちらの岩は硅灰岩でやや濃いめの灰色だった記憶がある。秋風と比べるまでもないだろう。那谷寺の「奇岩遊仙境」と名付けられた巨石は、雲母を刷いたように白く、表面はさらさらとして、色彩も質感も秋風と比べるにふさわしいたたずまいである。
 本殿の辺りの紅葉はまさに見ごろ。折から日照雨がはらはらと降りかかって、あざといまでの見事さである。ダメダメ、こんな、いかにも紅葉の名所でございます的な構図を描いてしまったら絵ハガキみたいになってしまう。

 紅葉は寒い国がきれいだという。カナダや北欧の紅葉は それは素晴らしいという。北欧まで見に行ったことはないが、ウィーンの森の紅葉も透明感があった。クリムト没後百年の大展覧会に行ったついでに少し散歩したのだが、黄葉の明るさは、突き抜けた美しさだった。

 クリムトの風景画の黄色も印象的で好き だが、執拗に描きこまれた風景はこうまでしないと振り払えない、よほどの憂悶に取りつかれていだのだろうかと胸の痛くなるような、暗い迫力がある。それが魅力なんだけれど。

 それに比べるとこの国の紅葉は、しとやかである。「世の中はむなしきものと知る時しいよよますます悲しかりけり  大伴旅人」の歌の如く、千年の無常観に貫かれ、もののあはれを葉脈の隅々にまで行き渡らせている。。
 繚乱の桜にさえ儚さを賞味するわれわれ日本人である。いわんや紅葉においてをや。
 古典演劇の幼童の美もあっという間に失われる故に一入賞玩したくなるもの。次の雨に消えてしまう紅葉の凋落の美は年がゆくにつれて、いよいよ肌にしみる。

そんな日本的儚さの美意識が、大戦の影のさす、西欧の終末の囁かれる19世紀末ヨーロッパにジャポニズムとして大流行したのもわからなくはない。

 クリムトの画室にも、浮世絵が何枚もかけてあった。クリムトはさまざまなものの境界に立つ画家である。殊に写実と装飾性のないまぜになった具合がどことなく琳派に通底するようで、惹かれる。

 既成概念に反発し、黄金に輝く画面にエロスとタナトスがせめぎ合い、あるいは抱きあう 完璧な画面。

 きっと生真面目な性格だったのだろう。主題に正面切って向かいすぎるとやや大仰に感じるのは、個人的好みかもしれない。

「儚さ」という、あって無きかのごときものを噛み分ける我が国の伝統はだてではない。錦秋はあでやかであればあるほど悲しいのは無論のこと。「花も紅葉もなかりける」となってもなお儚さをせせる。

 紅葉を狩るとは、儚さの果ての果てを狩ることであるらしい。どうにも描ける気がしない。